2003,11月 阿下喜

  阿下喜
  阿下喜をスタート
   伊勢治田での交換風景
     

         阿下喜(あげき)Story

三岐鉄道の丹生川に貨物博物館がオープンしたニュースを見て久しぶりに北勢地区を訪れてみた。
近畿北勢線も三岐鉄道の運航管理化になったことで帰路は阿下喜を廻ってナローゲージに乗ろうと
地図で一番近い接続地点を探したところ三岐鉄道伊勢治田駅が一番近くにここを経由することに決定。
伊勢治田は貨物ヤードのあ大きな駅で、東藤原にあるセメント工場のホッパー車の準備基地的存在で
セメントホッパー車がズラリ編成で並んでいる。
三岐鉄道はこのセメント輸送が主力で、ELの重連貨物列車が見られることが有名で、旅客の方は
イエローカラーの旧西武鉄道の車両が2〜3両編成で運行されている。
電車はワンマン化されているにもかかわらず、前駅とも有名駅で、硬券の切符を発行してくれるのが
うれしい。
伊勢治田の貨物ヤードでの撮影を終え昼食でもとろうかと駅前へ出たところ、店らしきものは見当らない
バス停があるが時間帯が悪く、駅でタクシーをたずねたところここでは常駐はなくて阿下喜から呼ばないと

ないと聞き、これはやばい。
駅員は徒歩でも20分くらいだからと簡単に道を教えてくれるのだが、昨日地図を見ながら最悪の場合
徒歩を考えていたことだが、正に予想が当たってしまったのだった。
どんより曇った今にも降りそうな空を気にしながら阿下喜に向って歩き始める。
10分ほど歩いて大きな国道に出て信号を渡ったところで前を歩く学校帰りらしい幼い少年2人と少女1人
の3人連れに追いついた。当然のごとく追い越してゆくと、後ろで「こんにちは」と声をかけられ一瞬「えっ」
と思いながらも「こんにちは」と返礼して、先行しようと足を止めると3人連れも私の歩調に合わせて足早に
ついてくる。気味が悪いなと思っていると、なんと早く歩くなと言わんばかりに私のジャッケットを引っ張る
ではないか。 あれれ、どうなってるんだ・・! 自分のペースを急に崩された感じで私の歩調はスローダウン。
3人連れに合わせざるを得なくなった。
女の子がいきなり「わたし、何になりたいとおもう?」と質問してくるので戸惑う私は「さぁ・・?」
「わたしケーキ屋さんになりたいの。」男の子は「ぼくは車の修理屋さん。」もうひとりの男の子は「お父さんが
大工をしているからぼくも大工になる。」と3人3様に自分の将来のビジョンを熱く語ってくれる。
「おじさんはどこへ行くの?」 「阿下喜駅へ。」 「何をしに?」 「電車の写真を撮りに。」
私もようやく幼い3人組のペースに入ることができ、会話がはずむこととなった。
3人は幼稚園帰りで6才児だがしっかりしており、一見小学生に見える。お父さん、お母さん、プライバシー
に関することも平気で話してくれ、警戒心が全くない純粋な動作からは心豊なご家族の内面が十二分に
伝わってくる。
TVニュースなどで学校における誘拐事件などで登下校時の警戒マニュアルなど報道されている昨今、
私自身は気むつかしくいつも恐い顔をしていると家族に言われており、どう見てもやさしい感じのおじさんに
見えないタイプの私に人なつこく接してくれる幼い3人連れに、初めは戸惑いで他人とはあまり関わりなく
暮せる都会的無関心な態度で接していたかもしれない自分に大いに反省することになった。
員弁川を渡る手前で「わたしの家はあそこ」と3人連れは右へ曲がることになり、こんどは私のほうが名残
惜しさを感じながら「バイバイ」と手を振って彼らを見送った。
バス・タクシーもやめて徒歩連絡することによって起こった幼い3人連れとの出会いのハプニングは、大人に
なり知らず知らすのうちに失ってしまった大切な何かを思い起こさせてくれる貴重なひとときなのであった。
阿下喜の駅前はバスターミナルやスーパーストアもあってちょっとした町である。新生になった三岐鉄道
北勢線の阿下喜の駅舎は無人駅となっており、乗車証明の発券機がポツンと改札口にあって、人影もなく
寂しい限りである。デイタイムで1時間ヘッドのダイヤであるから電車のいない終着駅はひっそりとしている。
はるか彼方からモーター音が聞こえてくる。しばらくして黄色のニューカラーとなった270型3両編成が到着
折返しの桑名行きとなる。
さあこれからナローのジョイントを楽しみながら桑名までの旅が始まる。
心に残るあの3人連れは今頃なにをして遊んでいるのかな・・・・・・・


                                         2003,11月 T・Yamamoto